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愛を。

看護師ケアマネ。愛すべき利用者との関わりをちょっぴりフィクションほぼノンフィクションで。(記事の編集を随時行っています)

怒る人

怒る・怒鳴る人はそこそこいらっしゃいますが、中でもダントツで記憶に残っている人が彼女です。

彼女のことは、彼女の父親を最初に担当し、うっすらとその存在を知り(介護協力は無かったので)、その後母親の担当になり強烈な印象を残しました。

残したと過去形になっているのは、既に彼女はこの世には居ないからです。

 

父親を亡くし、その後母親を亡くし、家主の居なくなったその家を通る度、私は彼女の孤独を思い出します。

 

私は死んだ人のことをよく考えます。

知り合いだけではなく、会ったこともない幼くて死んだ子どもや理不尽な死に方をした女・子どものこと、ありありとその情景が浮かぶこともあります。それが決して正しい情景なのかはわかりませんが。

彼女のことも、白い部屋の中でたった一人で死んでいったのだろうか。

その時彼女の心の中の怒りは無くなっていたのだろうか。

彼女が死の間際で少しでも救われていて欲しいと想像する。

 

あの時こうすれば良かったとか、もっとこうすれば良かったという感情ではない。

ただ彼女の悲しみや苦しみを感じるのです。

 

母親から一本の電話がかかってきた。

「どうやらあの子も癌になったようだ」。

母親も闘病中なのに娘まで・・・

私を含め、母親の介護サービス事業者のスタッフも皆心配した。

彼女はこれまで定職に就けず、母親が入院していた病院でもトラブルを起こす、退院前カンファレンスでは、皆が集まっている部屋を覗いた途端、「聞いていない」と烈火のごとく怒り帰ってしまった。

MSWは勿論説明していただろうし、聞いていなかったとしても退院前の大事な話し合いということは理解しなければいけないはず。

そんな、子どものような三十路の娘を母親はきっとかばって生きてきたのだろう。

「あの子は父親そっくり。すぐ怒って始末が悪い。怒り出したら止められない。こっちが謝るしかない。何も言えない。金のことばかり心配する。看護師さんにお礼をしたと言うといくらしたのかしつこく聞いてくるし」と言っていた。

 

そんな娘が私に当たり散らした、突然。

家に行った時のこと、「お前なんか私とおんなじ病気になればいい!癌になれ!私と同じように苦しめばいい!」延々と発せられる汚い言葉、恐ろしい顔。

母親はその隣で申し訳なさそうに小さな声で、聞こえないくらい小さな声で、「なんてこと言うの、そんなんじゃないでしょうが」と言っている。

その言葉を耳にした娘は更に怒号を浴びせる。

あまりにも理不尽で、あまりにも突拍子もないその光景に、私は半ば唖然とし、何も、と言っていいくらい感情が停止。

むしろたまたま居合わせた訪問看護師に対して、気まずいだろうなと思った。

あまりにも一方的で怒号が止む気配がなく、私が退散するしかないなと思った。

「逃げるのか!」と言われた。

何か反論した方が良いだろうかと考えたが、正論をぶつけてもあなたの気持ちは収まらないでしょうと心の中で思った。

これ以上自分を傷つけてほしくなかった。

これまで彼女との関係性をできるだ良好に保ちたいと思っていた。

しかし相手のコミュニケーション力によっては、きっと限界というものがあるのだろう。

 

怒りの矛先は本当は私ではなかった。

本当のナイフは自分自身に向けられていたから。

彼女の発した言葉はそのまま自分を傷つけ血だらけにしていった。

 

でももしかしたら、緩和病棟の1人の看護師に心を許し、彼女の中の怒りが消えていたとしたら・・・

白い孤独な部屋の中でも誰も側に居なくても、怖くなんか無かったでしょう?