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愛を。

看護師ケアマネ。愛すべき利用者との関わりをちょっぴりフィクションほぼノンフィクションで。(記事の編集を随時行っています)

引き受ける人

敬虔なクリスチャンであるその一家は、極々普通の家族。

何故引っ越してきたのか詳しくは聞かなかったが、数年経った頃思いもかけぬ理由でこちらに来たのだと知った。

担当である利用者の妻は高齢にも関わらず、これまで働く娘の代わりに家事を担ってきた。この頃は多少の物忘れも出てきたが、お花を植える優しい人。

口数の少ない夫の代わりに、私によく話をしてくれた。

その日は何故か引っ越してきた理由を話し始めた。

娘が結婚する際、夫に持病があったが、その時は落ち着いていた。しかし結婚後徐々に悪化し、家族に暴力を振るうようになった。

子ども達はトイレに隠れていることも。

子どもをそっとお使いに出したりすることもあったと。

お使いが終わったら隣のおばちゃんの家に行っていなさいと。

ある時その夫の主治医が言った。

「今、逃げなさい。皆で遠いところに逃げなさい」と。

それで身内のいるこの土地に。

人の悪口も言わず、ご近所の方ともすぐ仲良くなり、争いのない穏やかな優しいこの家族にこんな苦しい過去があったなんて。

 

クリスチャンだと知ってしばらくして、宗教をしている人にいつか聞いてみたいと思っていたことを聞いてみた。この人ならと。

宗教を持っていることによって子育てにどんな影響があったと思いますか?

何が良いと思われますか?

「子どもが家族や学校以外に行くところ、よりどころがあったのが良かったと思う」。

勧誘が当たり前のような宗教もありますが?

「宗教は誘うものではない。個人の問題だから。自分だからね」。

その人達を見ていると、宗教も悪くないと思える。

しかし、親がしている宗教をそのまま子どもが信心していくのはどうだろう。

他の宗教を知らず学ぶこともなく。だって親=子どもじゃない。

選べない、選ぶことができない引かれたレール。

疑問を持たないことが既に幸せということか。

その質問はできなかったが・・・

 

人にやさしく人の悪口を言わず、争い事を好まず人を恨まず妬むこともせず、正直に生きてきただろう者達は、その人生のどこかで、ある厄介なモノ、を引き受けることになるのかもしれない。

慈悲の心に入り込んでくる厄介なモノ。

 

物語は続く。

あなたは、私は、この先どんなモノを引き受けていくのか。

物語は続く。