そこ、に住む人
誰もがそこに人が住んでいるなんて思いもしなかった。
しかも子どもまで・・・
皆が聞き返す、「あそこに人住んでたの?噓でしょ?家の外、粗大ゴミみたいな物がいっぱいあるよ」。
そう、私も知らなかった。そこに家族が住んでいたなんて。
玄関とおぼしき入り口は分厚い木でできており、開かない閉まらない、ゴトゴトと音を立てる。
どこにあるかわからない台所は・・・あえて見る必要はない。
部屋の中は・・・暗くて隅々まで見えない・・・あえて見る必要はない。
本人の部屋の畳はべこべこと波打っている・・・転びますね。
入退院を繰り返し、これまで布団で寝起きしていたが、ベッドが必要という話になった。しかし一体どこに置くか?
畳はまずい。床が抜ける可能性が高い。
何とか縁側の床の上に置けるショートタイプの特殊寝台を設置することができた。
本人はとても気に入った。本人の居場所が確保された。
しかし、家全体が問題である。
台風や地震などの災害時、家屋損壊の恐れ大!
誰もが危険と思っているのに、どうしてこれまで何もアクションが無かったのか?
担当が変わった時がチャンス。私は生活保護課のケースワーカーへ電話した。
あのままでいいんですか?
危ないですよね?
「持ち家ですからね~」・・・
そ、それで?
「持ち家ですからね~」・・・
何でも持ち家だと、引っ越しなどの提案はできない、と言うことのようだった。
役所は申請主義です。
本人・家族自らの訴えがない限り、もしくは相談でもしない限り、役所は動きません。
で、でもですね、災害があった場合、あの家持たない可能性が大きいですよね?
ま、この質問に対ししての答えは何とも言えないのが当然かもしれないが。
持つか持たないか、そりゃ専門家でもない限り確定した答えは出ないだろう。
でも・・・
自分の担当の時に壊れなければそれでセーフなのかな?
ケースワーカーは担当がコロコロ変わる。
この時も自宅でサービス担当者会議をするから顔合わせも兼ねてご参加願いたいと電話を入れ、連携が取れたらと思ったが、「会議があるので。」と断られた。
たった1年か2年で自分の担当が変わるんだったら、深入りせず当たり触らず任期が終えればそれにこしたことはないのだろうか。
何も寝た子を起こすことはない?
自ら訴えられる人たちは良い。
しかしこのケースは、本人のみならず家族も知的障害がある一家だった。
そこに何十年も住んでいる当人たちは、危険性など全く感じていないようだった。
「家が危ないので近くにある市営住宅に引っ越すよう役所に相談に行ってはどうか」と、誰が言えるのだろう。
もしかしたら、そこに住みたくて住んでいるのかもしれない。
元々地域で孤立しているその一家は、他者を信用するには時間が必要だった。
我々関係者は度々どうしたものかと相談しあったが、本人とその家族の真意を確かめる間もなく、本人が亡くなってしまった。
そして、彼らはまだあの家に住む。
生活の質や生活環境そのものは、人それぞれであり、どこまでが支援なのか、
どこまでが過剰なのか、どこまでが贅沢と言われるものなのか。
一般的な生活水準とは。
保護世帯の生活環境とは。
どれも平準化できないものなのだろうと思う。
それぞれの生きてきた価値観がある。
自ら選んで今がある。
でも選べない人生もあるかもしれない。
親が貧困だと子どもは良い教育を受けられず貧困の連鎖が繰り返されることも多いだろう。
私たちは社会的弱者と言われる立場の利用者やその家族に関わり、それぞれの生活や価値観、その思いに触れる。
短期間では難しいのは勿論のこと、数年経って初めて知り得ることも少なくない。
利用者及びその家族のこれまでの人生と、ちょっと後ろから一緒に歩いていくこれからの人生の、そう長くはない道のり。
どちらも大事にしていきたい。