愛を。

看護師ケアマネ。愛すべき利用者との関わりをちょっぴりフィクションほぼノンフィクションで。(記事の編集を随時行っています)

悲しむ人

自分の思いが伝わらないということ、

報われないこと、

愛を受け取って貰っていないと感じる時、

愛が返ってこないと思う時、

人は悲しむのでしょう。

 

女手ひとつで子ども達を育てたおばあちゃんは、身体が思うように動かず、耳も聞こえず、人の世話になられければ生きていけなくなったにも関わらず、未だお嫁さんを泣かしています。

なんとまぁ強情な、強い女性でしょうか。

息子さんはそんなお母さんをたしなめます。

夜中大声で起こされた時、ちょっとお仕置きを。

おでこパチンって。

「嫁さんに湯をかけようとした。俺にはして良いが嫁さんにはするなって言ったんですよ。看てもらわないといけないだろうが、何故そういうことをするのか。そんな時は黙って聞こえないふり。夜中さみしいからって起こされて、びっくりして側に行っても知らんふり。でも、育ててもらったからですね」。

横で聞いているお嫁さんも、「そう、親だから看ていこうと思っています。でも、ちょっと優しい言葉でもかけてくれたら。ご飯を作っても気に入らないとポンと除けて、食べて終わったら机をバンバン叩いて。そんなにしなくて、もっとかわいいおばあちゃんでいてよって言うんですけど」。

お嫁さんは肩を落とし、「何がいけないのか。嫁ってやっぱり気に入らない者なんですかね。いろいろ助けて貰ったからお世話するのは何ともないんです。でもあんな態度だったら、どうしてって思う」。

知り合いに「あなただからわがままが言えるのでは。一番甘えられているんじゃないの」と言われた時、少し腑に落ちたように感じておられたが、やはりまた悲しんでおられる様子。

豪傑おばあちゃんは、私達にはとっても穏やか。

介護職員に対してもちゃんとお礼が言える。

私にもにっこり。

なーのーにー、一番お世話してもらっているお嫁さんに対しては苦虫を噛み潰したような表情。

ほんと面白い女性ですが、お嫁さんにとっては毎日の悲しい出来事。

そんな時どうしたら良いんでしょう?

人に何かをしてあげるって何か見返りを求めていることが多いのでしょう。

母の愛は無償の愛とか言うけれど、この夫婦には子どもがおらず・・・

何も期待せず、毎日のお世話ができたら良いですね、なんてことも言えないし。

傷つかないような方法って?

「主人には何も言わないし、言うことを聞くので、そういう時は主人に代わってもらいます」。

そう、それですね。

(本当はお母さんは自分の息子にだけ看てもらいたいんでしょうね)

息子さんに、これ以上腰を痛めたり、きつくなったら介護4だし十分在宅でやってこられました、入所も検討されて良い状況だと思いますよと伝える。

「まだまだ大丈夫です。でもそうなったら相談します」との返事。

 

この優しいご夫婦ができるだけの介護をして、最後に決断するそれまでの間、多分ずっと冷たい意地悪をするだろうおばあちゃん。

全く可愛くないけれど、息子大好きなんだろうなって。

この期に及んでも女の闘いを見せつけてくれる人。

闘いは死ぬまで続くんですね。

 それがあなたの生き様ならば、それはそれで誰かが非難することではない。

見届けましょう、最期まで。

 

 

真理を突き止めようとするあまり、目の前のことが見えなくなることがある。

真理を突き止めようとするあまり、相手を見ようとしないことがある。

真理を突き止めようとするあまり、問題がすり替わっていることがある。

見たくないから見ようとしない。

本当のことが知りたくないから、人は心に蓋をして気づかないふりをする