愛を。

看護師ケアマネ。愛すべき利用者との関わりをちょっぴりフィクションほぼノンフィクションで。(記事の編集を随時行っています)

動かなくなる人

ALSとは過酷な病気である。

日本でのALSへの呼吸器装着は2~3割と聞くが、自分だったらどうするだろう、身近にALS患者がいる場合、誰しもが考えてしまうことだろう。

私の担当していた利用者で、人工呼吸器を付けないと言い、亡くなった人がいる。

彼女は年下の夫と2人暮らし。子どもは居なかった。

地域の役員などを買って出る活発な女性だったようだ。

発症から確定診断がつくまで1年近くかかり、紹介された在宅診療の医師とは最期まで信頼関係を築くことができなかった。

当初から既に嚥下機能が徐々に低下してきており、いきなり医師から胃ろうを勧められる状態。

この病気はその人によって進行の速度も違い、身体のどこから動かなくなるか、人それぞれだ。

病気の説明を何度聞いても、すぐに納得できる人なんていない。

この病気は必ず進行し、やがては自分で呼吸ができなくなる。

最後まで残るのは瞬きと眼球だけ。

しかし最期まで意識ははっきりしており、認知機能は保たれる。

なので医師から残酷極まりない、と言わしめる難病。

 

当初から、医師に対しての不満や不信感が強い夫。

妻である本人が少しずつ言葉が出にくくなり、意思伝達装置の申請の手続きに入る。

難病を持つ利用者は、介護保険サービスに留まらず、障がい者福祉サービス利用の手続きなど、ケアマネの業務も多岐に及ぶことになる。

それが病気の進行が早ければ早いほど、医療者側からは次から次へと指示や提案が入るのだ。

本人・家族の気持ちは殆ど追いつかない。

だって『すぐ使わなくなるんでしょ』もっと悪くなると使えなくなるんでしょ、なのにお金払ってまでそれを今購入するんですか、という話になる。

しかし医療者側から言われると本人・家族はNOとは言いにくいもの。

で、ケアマネがすぐに対応しないと医療側からは「あのケアマネは動きが悪い」などと言われるようだ。フットワークが軽くない、ということか。

私は、医療者側から良いケアマネと言われるケアマネがそのまま利用者にとって良いケアマネであるとは思わない。

私にとって医療者側からの評価は全く関係ない。言いなりケアマネになるつもりはない。

しかしそうは言ってももしお金に余裕が少しでもあるなら、残された在宅生活を少しでも安全に安楽に過ごしてもらうための提案は必要である。

それが多少短い期間の利用になっても…

 

ポータブルトイレの購入後しばらくすると、頸部の筋力も低下してべッドからの移乗も危険になり、ベッド上でのオムツへの排泄を余儀なくされた。

デイサービスの職員にはベッドからの移乗・屋外への移動など大変頑張って貰った(近い将来利用できなくなることは間違いなく、夫の介護負担のためにもできる限り通所を希望)が、訪問入浴へ移行した。

夫は疲弊していた。

酒を飲んで2階に寝て、妻がベルを鳴らしても起きて来ないこともあった。

そんな中で、意思伝達装置から本人の意思は変わらなかった。

延命を選ばなかった人。

人工呼吸器につながれてこれ以上夫に負担をかけたくない。

妻は、夫にはこれ以上耐えられないだろうと判断しているようだった。

夫婦だから、伴侶の精神力・包容力・介護力がわかるのだろう。

 

病気を止めることもできない、

痰の吸引ができるヘルパーを24時間置けるサービスもない、

子どももおらず、両親も遠方で高齢、

入院はしたくない、家にいたい。家で死にたい。

ある夜、本当に家で亡くなった。

 

私はお風呂に入って家にいたが、ヘルパーのサービス提供責任者と亡くなったばかりの本人に会いに行った。

一緒に体を拭いて、よく頑張りましたねと皆で声をかけた。

夫はそんな私達の後ろで、「あっと言う間だったよ。先生もあっけないもんだね、あんあもんかね」と行き場のない気持ちを医師にぶつけていた。

それでも、レスパイト先の病院ではなく、自宅で亡くなったことは本人の希望通りになって良かった。

このままでは夫の身体や精神面が持たないというところで訪れたような死だった。

年上女房である彼女の最期の思いやりだったのかな。

 

 

 

 

生き続けることを止めたとき

死はあなたの傍にはっきりと寄り添い

そのときまでじっと見つめてくれる

さびしさとか

つらさとか

くるしさとか

あきらめとか

いつの間にか通り過ぎて

ただ、そこにある

本当はどんな人の傍にも死はあるのだけれど

日常では感じることができない

いつもいつも本当はすぐそこにあるんだよ

こんにちは

さようなら

死はひっそりと誰にも気づかれることなく

いつもそこにある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悔やむ人

毎回この言葉が聞かれます。

「長生きし過ぎたよ。こんなに長く生きると思っていなかったから」。

「こんな辺ぴな所に越して来るんじゃなかった」。

越してきてもう20年以上経つ・・・。

 

人は、どこまで傲慢で、後悔をする生き物だろう・・・

 

海外で仕事をしてきたご主人は、妻も一緒に連れて行くこともあった。

華やかな人生だったのだろう。

「早くリタイヤし過ぎた。もっと仕事を続けていれば良かった」と言う。

妻は何年も前から自分のことしか考えられなくなった。

妻の口から出る言葉は自分の体調のことばかり・・・それを毎日聞く夫は精神的に参ってしまい、昼間からお酒を飲むようになったのだと。

「2人切りになるのがたまらない。嫌だ。どうにかなっちゃう」って言う。

かつては愛し合った2人も、身体の衰えとともに、自分のことで精一杯になってしまう。

老後はお独り様が良い、という説に妙に納得・・・

でもそれってお互い相手のせいにしてないかなー

 

ケアマネも長いお付き合いになると、つい、余計な事を言ってしまうことがある。

支援に必要のない、ケアマネの事情なんて話さなくて良い。

向こうから聞かれてもそれは最小限に留める。

社交辞令的に聞かれる場合が殆どだろうと思うから。

 

この夫婦に、「過去には戻れませんから」なんて言ってしまってから、失敗したと思った。

そんなこと、そんなことわかりきっているのに。

ここに移り住んだのも、仕事を辞めたのも、もうどうすることもできないのに。

彼らはただ、言いたかっただけ。

聞いて欲しいだけ。

いつもいつも同じ話を誰かに聞いて欲しいのだ。

そんな話を聞いてくれる人はそんなにたくさんは居ない。

親も兄妹も親戚も同僚も友人も、自分達が長生きした分、皆居なくなった。

 

でも彼らは優しいのだ。

この年下の未熟なケアマネの小さな失敗を、聞き流してくれるのだ。

そして多分また後悔を口にする。

生ききるということは、死ぬまで試練であると思う。

 

 

 

 

 

 

 

悲しむ人

自分の思いが伝わらないということ、

報われないこと、

愛を受け取って貰っていないと感じる時、

愛が返ってこないと思う時、

人は悲しむのでしょう。

 

女手ひとつで子ども達を育てたおばあちゃんは、身体が思うように動かず、耳も聞こえず、人の世話になられければ生きていけなくなったにも関わらず、未だお嫁さんを泣かしています。

なんとまぁ強情な、強い女性でしょうか。

息子さんはそんなお母さんをたしなめます。

夜中大声で起こされた時、ちょっとお仕置きを。

おでこパチンって。

「嫁さんに湯をかけようとした。俺にはして良いが嫁さんにはするなって言ったんですよ。看てもらわないといけないだろうが、何故そういうことをするのか。そんな時は黙って聞こえないふり。夜中さみしいからって起こされて、びっくりして側に行っても知らんふり。でも、育ててもらったからですね」。

横で聞いているお嫁さんも、「そう、親だから看ていこうと思っています。でも、ちょっと優しい言葉でもかけてくれたら。ご飯を作っても気に入らないとポンと除けて、食べて終わったら机をバンバン叩いて。そんなにしなくて、もっとかわいいおばあちゃんでいてよって言うんですけど」。

お嫁さんは肩を落とし、「何がいけないのか。嫁ってやっぱり気に入らない者なんですかね。いろいろ助けて貰ったからお世話するのは何ともないんです。でもあんな態度だったら、どうしてって思う」。

知り合いに「あなただからわがままが言えるのでは。一番甘えられているんじゃないの」と言われた時、少し腑に落ちたように感じておられたが、やはりまた悲しんでおられる様子。

豪傑おばあちゃんは、私達にはとっても穏やか。

介護職員に対してもちゃんとお礼が言える。

私にもにっこり。

なーのーにー、一番お世話してもらっているお嫁さんに対しては苦虫を噛み潰したような表情。

ほんと面白い女性ですが、お嫁さんにとっては毎日の悲しい出来事。

そんな時どうしたら良いんでしょう?

人に何かをしてあげるって何か見返りを求めていることが多いのでしょう。

母の愛は無償の愛とか言うけれど、この夫婦には子どもがおらず・・・

何も期待せず、毎日のお世話ができたら良いですね、なんてことも言えないし。

傷つかないような方法って?

「主人には何も言わないし、言うことを聞くので、そういう時は主人に代わってもらいます」。

そう、それですね。

(本当はお母さんは自分の息子にだけ看てもらいたいんでしょうね)

息子さんに、これ以上腰を痛めたり、きつくなったら介護4だし十分在宅でやってこられました、入所も検討されて良い状況だと思いますよと伝える。

「まだまだ大丈夫です。でもそうなったら相談します」との返事。

 

この優しいご夫婦ができるだけの介護をして、最後に決断するそれまでの間、多分ずっと冷たい意地悪をするだろうおばあちゃん。

全く可愛くないけれど、息子大好きなんだろうなって。

この期に及んでも女の闘いを見せつけてくれる人。

闘いは死ぬまで続くんですね。

 それがあなたの生き様ならば、それはそれで誰かが非難することではない。

見届けましょう、最期まで。

 

 

真理を突き止めようとするあまり、目の前のことが見えなくなることがある。

真理を突き止めようとするあまり、相手を見ようとしないことがある。

真理を突き止めようとするあまり、問題がすり替わっていることがある。

見たくないから見ようとしない。

本当のことが知りたくないから、人は心に蓋をして気づかないふりをする

 

 

 

 

 

礼を言う人

その人は薄っすらと涙を浮かべる。

おばあちゃんの世話が嫌と言うわけではないが、認知症の周辺症状には困ることも多い。

デイでお風呂に入って来てもまた家で入る。

沸いていない冷たい湯の中にも入ろうとする。

孫の服を絶対自分の物と言い張り睨みつける。

この前はテーブルにあったタバコをむしって食べていたそうである。

テレビのリモコンはいつも所在不明。

テレビが点かないとあちこち触ってますます映りがおかしくなる。

まだまだ夜が明けない早朝に起き出し、朝ごはんが出て来るのを待つ。

ご飯を食べても、食べていないと言う。

部屋の中は「今日はデイはお休みです」の張り紙があちこちに貼ってある。

デイの無い日も「まだ迎えが来ない」と言っては外に出たり、部屋に戻ったりを繰り返す・・・

 

デイに行き出してもう3年くらい経ちますかね。

義母の認知症の症状に困った長男の妻は、市役所へ相談に行ったそうです。

その際窓口で「まだまだ大したことないから」と言って介護保険の申請を受け付けて貰えなかったそうです。

それでこちらに相談に来たということでした。

 

もう私は忘れていたが、この前の訪問の時、長男の妻がそんな話をした。

「今日のニュースでアレルギーのある自分の子どもに牛乳を飲ませたって。2人で暮らしてあったそうです。どこも相談に行けなかったんじゃないですかね。もうお母さんは1人でいっぱいいっぱいだったんじゃないですかね。私思い出したんです。こんなサービスを受ける前のことを・・・」。

私はそのニュースを知らなかったが、当時の自分の気持ちを重ねたのだろう。

そして、「今はこうやって毎月来てくれるので本当に安心です。本当に助かります。ありがとうございます」と言った。

 

長男の妻は、義母が元気な頃はいわゆる昔からある嫁姑の関係で、泣くことも多かったようだった。多くは語らないが、彼女は言った。

「今の方が断然良い。おばあちゃん、聞かない時もあるけど、ありがとう、お世話になりますって言ったりするんです。もうそんなこと言われたことなくて。今の方が全然良いです」。

以前は別の部屋で寝ていたが、ベッドの横にポータブルトイレを置くようになり、隣で寝るようになった。

「別の部屋で寝ていた時はちょっと物音がすると気になって眠れない時があったんですが、不思議ですね、今隣に寝ていて夜中に歌を歌われても平気で寝ている自分がいるんですよ」と笑って話す。

私も一緒になって笑う。

人間って凄いですねーって。

仕事もあるし、身体は本能で休ませてくれるんですねーって。

寝ないと持たないですもんねーって。

 

にんげんってすごいな。

この人の持っている強さが、やさしさが、十分に介護に発揮できていると思う。

「そうじゃないでしょ、違うでしょ」って喧嘩している2人を見て、「そんなにムキにならなくても」と笑って言う長男(多分優しく)。

「でも言っても良いんじゃないかって」と長男の妻。

良いと思いますよー

認知症の人に否定はよろしくないと言うのが一般的であるが、実際には否定してもその後症状が悪化するとか、そんなことになるとは全く限らないのだ。

毎日親子喧嘩しているケースもあるが、その時以外は多分仲良し親子。

認知症だってそうじゃなくったって、人間だもの、口喧嘩くらいしたって当たり前。

聖人君子みたいに、認知症の人に自分を殺してまで優しくし続けられるかって言ったらできないでしょ、潰れてしまうでしょ。

否定したって全然大丈夫な場面や人間関係だってあるのだと思う。

私は本人の味方でもあるし、介護者の味方でもある。

どちらの言うことも否定しない。

全くもってその通りだと思うから。

 

 

 

おばあちゃんは礼を言う。

今は小さい世界に住んでいる。

脳はかなり萎縮している。

だけど優しくされたら、礼を言う。

感謝の気持ちは残っている。

それは社交性を保っているということ。

それは人間としての尊厳。

生きること、生きていくことを教えてくれる。

 

 

 

家に拘る人

要介護5。

しかも独居。

介護度の中では最も重度であり、十分な介護が必要な状態である。

この頃では誤嚥性の肺炎などで入退院を繰り返している。

退院の頃になると決まって病院の方から、「どうしますか?施設を紹介しましょうか?」と在宅生活が困難だろうと娘に話がある。

その度に娘は私の携帯に電話してきて、「いろいろ言われるが家で看ますって言ったんです。後はケアマネがちゃんといるからそっちに相談しますって言ったんです」と言う。

いつも携帯にかけてくる娘は何故か私に絶大の信頼を寄せているようで、昼夜問わず、私の休みの日でも、勤務時間をとっくに過ぎているってわかっていても、他人の相談まで持ち掛けてくる、とても世話好きな女性。

一度、まずは会社にかけて貰って、実際運転中とか出れないので、他のケアマネが伝言受け取ってまた私がかけなおしますからって言ったことがあったが、実行して頂けないまま・・・

「携帯が早くて便利でしょうが」と言われる。そ、ですね。

 

そんな娘は働き者で介護にも熱心である。

認知症の進行に伴い、実母に引っかかれたり噛みつかれたりしても、NHKの介護講座などを見て参考にしたり、実践したりする。

より良い介護や生活の質の向上のため、いつでも誰からでも情報を得ようとする前向きな人。

ここ数年は更に進行したため、叩こうとする行動も無くなり、ただ唸り声を上げるだけになった。

当初から意思疎通は殆どできなかったが、感情や気持ちがくみ取れない状態の母を彼女は絶対に施設には預けないと言っていた。

親がそんな状態になった時、すぐ家では看れないと判断し施設入所を決める人と、こうやって長いこと在宅生活を続ける人がいるが、勿論後者の方が断然少ない。

介護度が重くても、ALSやリウマチのように脳神経が侵されていない人に対して家族は、「ボケてくれたら預けやすいんだけどねぇ」と言う。

実母に暴言を吐かれたり、叩かれたり、排泄の失敗を片付けても「ありがとう」の一言も言われなかったのに、長年在宅を選んでいる理由は、あんなところには入れたくない、もっと悪くなるというのが彼女の信念だった。

しかし、とっくに介護5。

でも在宅を選ぶのに理由はどうでも良い。

本人や家族が望めば最大の力になりたいと思う。

 

病院から言われるのは無理がない。

前回入院した時は、夜間のオムツ交換の頻度が少ないせいもあり、尿路感染症による発熱。

それまでは週5日のデイ、ショートステイが2日。

デイは夕食後の送りで、パジャマに着替えて一番吸収性の高いオムツを当てて帰す。

兄妹が寝る前に家に行き様子を見て、室温の調整をして帰る。独居ですから

夜間のオムツ交換が無いので、朝漏れていることが多く、感染しやすい状態が続いていた。

なので病院から在宅に戻るためには、再発しないような対策を求められた。

ヘルパーを入れるにも限度額をオーバーするので無理。

兄妹は考えが末、夜11時頃お互いが母の家に赴き、2人でオムツ交換をすると言った。素人が1人でオムツ交換できる状態ではない

その時もう限界じゃないですか?そろそろ施設も考える時期なのではないですか?

と、言うこともできた。

でも、これまでの娘の意向を充分知っていたのでまだいけるかもしれないと思った。

それで提案してみた。

デイ3日、ショート4日。

それでやってみませんか?

ショートの間はオムツ交換に夜間来ることはない。

3日、1週間に3回頑張ってオムツ交換に来る。

それでやってみませんか?

それを聞いて在宅を躊躇していた他の兄妹も、「それなら」と。

それで在宅介護?と言われるかもしれない。

それでも、朝はオムツ交換をし、ベッドから起こして車椅子に移し、朝ご飯を全介助で食べさせ、デイやショートへ送り出す。

それでも家なんです。

何を食べているのか、味はどうなのか、お腹いっぱいなのか、もう少し食べたいのか。

そもそも誰に食べさせてもらっているのか?

ひとつもわからないけど、自分の子ども達がスプーンで食事を口元に運ぶ。

少しでも口から栄養を摂らせたい。そんな娘のささやかだけど暖かい想い。

 

今回の入院で言われたことは、もう今後は食事もベッド上でしょう、しかもミキサー食になっていて、家に帰ってもそういった物を購入しなければならない、高額になりますよ、それでも家ですか?と言う話だったようだ。

娘はそれでも良い、お金はかかっても良い、デイやショートには自分が買って持って行って良いと言ったそうだ。

いやデイやショートにはミキサー食を用意してもらうので持って行かなくて良いですよと言うと、また一つ安心したようだった。

それでも「まだ入院できるなら年明けまで置いてもらっても良いかなと思っている」と言う。

長生きして欲しい気持ちと、何度入院しても復活して、少しずつ介護者側も年を取っていく。

少し意地になっていますか?

対外的なことも少しは影響していますか?

 

どの段階でそれはいつ?

介護者との何気ないいつもの会話の中で、そっと・・・

そろそろ施設の申し込みをされていて良いと思いますよ。

それがいつになるのか。

それはいつかのタイミング。

 

 

 

あなたの手で育てられた子どもは

その手で傷けられても決して傷つかない

それは確かな愛情と慈しみの心

それはどんな形になっても

恐れることなく

最期まで貫かれる親への恩返し

 

 

 

 

 

 

 

かわいそうな人

訪問看護師から再三電話がある。

「Ⅿさんがかわいそう。みんなで言ってるんですよ。食べる物が無くて」。

ヘルパーも言ってきた。

「かわいそうだなって思う」。

うんうん、そうかそうか、かわいそうか。

 

息子と2人暮らし。

本人は癌の転移で予後不良と思われるが、今のところ主に外来で抗がん剤の治療を行いながら、在宅生活を送っている。

これまでも、オムツが無い、ストマの装具が無い、食べる物が無いという話はあった。それを一つ一つ解決するよう息子と話しをしてきた。

 

オムツ(リハビリパンツ)は市の高齢者福祉サービスを申請したものの、日中就労している息子は電話による確認や受け取りなどが難しそうだった。

なので、デイサービスのスタッフにチケットを預け、毎月デイで受け取って貰うようにした。

ストマは人工的に作られた新しい排泄口のこと。便や尿を受け止める袋(パウチ)などを身体障がい者手帳で日常生活用具の給付が受けられる。

退院する時に説明を受けてきたはずなのに、本人にしか説明が無かったのか、本人は覚えておらず、手続きがなされず数ヶ月経ってしまった。

やっと息子が手続きに行ったが、その後決定通知の手紙がきていたはずなのに紛失してしまい、実際受け取るにも時間を要した。

役所関係の書類の宛名は全て息子さんの名前にした方が良いと思うと伝えた。

お母さんの名前の郵便物は全部自分の部屋に持って行ってしまい、わらかなくなってしまっているようだったから。

 

食事に関して、当初は市の配食サービスを利用していた。

しかしすぐ「あんなに食べれないし、食べたくない。要らない」と言って断った。

朝から晩まで働いているという息子に、今後食事はどうしますかと聞くと、「何か買って置いておきます」と言った。

訪問看護、デイサービスを週4回、福祉用具のレンタルを入れたら、ヘルパーは週2回しか入らない。それ以上サービスを入れると限度額からオーバーする。

息子はオーバーは困ると言った。

介護保険は介護度(1~5)によってそれぞれ使える限度額というものが設定されていて、その範囲内でサービスを利用すれば1割(一定所得以上の人は2割)で良いがそこからオーバーすると10割負担となる

それで、食事は買ってくると言っていたのだが、実際はカップラーメンや冷凍食品だった。

本人は「カップラーメンは食べたくない」と言う。

冷蔵庫には賞味期限が切れた物があり、ヘルパーに必ずチェックして捨ててもらうようにした。

私が訪問した時も、「何も食べていない」と言うため冷蔵庫を見たところ冷凍室にピザがあったためトースターでチンして食べて貰った。「美味しい」と言った。

やはり熱い物は熱く、冷たい物は冷たくして、今食べたい物を食べたいと言うのが本音なのだろう。

しかしお母さんが冷凍食品の袋に書いてある説明書を読み、理解し、電子レンジを使うことができると息子は思っているのだろうか。

 

今回は息子が1週間くらい県外に行くと言った。

その間お母さんをどうしましょうか、デイを1日追加しましょうかと聞いた。

はっきりとした返事は無かったが、「姉に来てもらおうかとも考えている」と言った。

なので、息子から「今日から行くのでデイを追加してください」とメールを受け取った時、お姉さんが来てくれることになったのかなと思った。

それ以外の相談が無かったから。

でも、と一抹の不安を感じ、すぐお姉さんが来てくれるんですかとメールを送った。

息子からの返事は無かった。

これまでも、何か不都合なと言うかあまり答えたくない返事はいつも返ってこなかったので、もしかしてと思った。

案の定、デイからヘルパーから冒頭の電話である。

「Ⅿさんが腐った鍋を食べてたんですよ。もう、かわいそうでかわいそうで」。

「息子さんどう思ってるんですかね」。

「混ぜるだけの炊き込みご飯の素でご飯を炊いてあったんですけど、床にご飯がボロボロ落ちている。目があまり見えないので踏んづけている」。

「冷蔵庫の中に茶色いしめじが入っているけど・・・」

それ、ブラウンしめじじゃない?

いや、普通のしめじ・・・

 

本人に会いにデイへ。

息子さんがしばらく留守にすると聞いてありましたよね。

食事はどうするとか話し合ったんですか?

本人が大丈夫、何とかすると言ったのかもしれない

「うん、それがちゃんと話してないのよ」。

でも息子さんがいないとどうするかちゃんと話し合っておかないと困りますよね。

「うん、そうなの」

本人を責めているわけではありません

でも2人とも立派な大人なので、考えることはできたでしょ

娘さんが来る予定だった?

「いや娘が来たら私が困る」。

娘さんとの関係はやはり良くないのだな

どうしましょうか、ヘルパーにお弁当を買ってきてもらいましょうか。

「そうしてください」。

どんなお弁当が良い?

「和風が良いな」。

ヘルパーさんに幕の内みたいな和食のおいしそうなお弁当を買ってきてもらいましょうね。

 

今回は食べ物だけではなく、薬も足りなくなったのだった。

これまでも危うい時があり、デイや訪問看護師をヤキモキさせた。

デイのスタッフや訪問看護師が残薬をかき集めても足りず、血圧が200になった。

 

今回ばかりは少し踏み込んだ話をした方が良いかもしれないと思った。

息子にデイでのお母さんの様子を実際に見てもらった後、相談室で2人で話をした。

と言っても、口数の少ない寡黙な息子である。

簡単には口を割りません。笑

というか、私もデイのスタッフも看護師さんも、息子さんとお母さんの味方、敵じゃないですよね。

お母さん血圧が200だとせっかくデイへ来てもお風呂に入れなかったりリハビリができなかったりするんですよ。血圧が高いと心臓にも負担をかけるんですよ。それで体調が悪くなったり病気が悪化したりしたら困りますよね。薬を飲まないと言う日を作らないように。薬を貰ったらその時点で無くなる日がわかりますよね。早め早めにお願いできますか。

勿論、怯える?息子に対しゆっくりとやさしく落ち着いた声で。

やっと言ったのが「今回は仕事が忙しくて・・・」。

いやわかっています。

どこまでプライベートに踏み込んで良いのか。

良い年頃と思うので、きっと仕事だけではないのだろう。

息子さん1人でお母さんを看ているので、皆心配しているんです。

1人で抱え込み、追い詰められているんじゃないか・・・

 

帰り際息子に伝えた。

一緒に考えられることもあるかもしれないので、いつでも何でも相談して貰って良いですよ。

何か困ったことがあったら私を思い出してください。

 

 

かわいそうな人。

食べ物が目の前に無いからかわいそうなのか。

本人や家族の想像力の欠如、予測能力の低さから起こりうる困りごとに対して、どこまでお膳立てをするのか。

あくまでも本人・家族の自立支援であるなら、困ってしまってからどうしようか、困ったから次はどうしたら良いかと考えるチャンスなのかもしれないとも思う。

こんなケアマネでごめんなさい。

なんだか一緒になってかわいそうモードになれないケアマネでごめんなさい。

自分の身内のように心配し憤る看護師。いくら同じ薬だからって8月の分は飲ませられないと。いや緊急時だから飲んで良いんじゃない?いや飲ませて欲しい。自分だったら飲む!笑

迎え時薬をかき集め、何とか薬を飲ませようとするデイのスタッフ。お風呂に入れてあげたかったのよね。

言われたこと以上のことをやってくれているだろうヘルパー。もっとやってあげたいけど時間が足りないのよね。時間あげれなくてごめんなさい。

 

お母さんに今何か困ったことやこうしてもらいたいなどの希望がありますかと聞いたことがあった。

お母さんはうーんとしばらく考えた後こう私に言った。

「1人でいる時間が長いのでさみしい。本当は息子に早く帰って来て欲しい。でも私がわがままを言ったら息子がせっかく働いているのにね。息子が家にいてくれるからこの家に居られる」と。

 

 

みな心の中に愛を持っている。

一人ずつ色が違うし光具合も違うが、みな愛を持っている。

息子の胸にもお母さんにも。

いつも愛が同じ形だとは限らない。

自分と同じだと思い込むのは誤解を生みやすい。

考え方や生き方がいろいろなのと一緒で、愛にも多様性がある。

その多様性の中でみな一生懸命生きているのではないか。

それぞれの愛を尊重し、支援に繋げていきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこ、に住む人

誰もがそこに人が住んでいるなんて思いもしなかった。

しかも子どもまで・・・

 

皆が聞き返す、「あそこに人住んでたの?噓でしょ?家の外、粗大ゴミみたいな物がいっぱいあるよ」。

そう、私も知らなかった。そこに家族が住んでいたなんて。

玄関とおぼしき入り口は分厚い木でできており、開かない閉まらない、ゴトゴトと音を立てる。

どこにあるかわからない台所は・・・あえて見る必要はない。

部屋の中は・・・暗くて隅々まで見えない・・・あえて見る必要はない。

本人の部屋の畳はべこべこと波打っている・・・転びますね。

入退院を繰り返し、これまで布団で寝起きしていたが、ベッドが必要という話になった。しかし一体どこに置くか?

畳はまずい。床が抜ける可能性が高い。

何とか縁側の床の上に置けるショートタイプの特殊寝台を設置することができた。

本人はとても気に入った。本人の居場所が確保された。

 

しかし、家全体が問題である。

台風や地震などの災害時、家屋損壊の恐れ大!

誰もが危険と思っているのに、どうしてこれまで何もアクションが無かったのか?

担当が変わった時がチャンス。私は生活保護課のケースワーカーへ電話した。

 

あのままでいいんですか?

危ないですよね?

 

「持ち家ですからね~」・・・

 

そ、それで?

 

「持ち家ですからね~」・・・

 

何でも持ち家だと、引っ越しなどの提案はできない、と言うことのようだった。

役所は申請主義です。

本人・家族自らの訴えがない限り、もしくは相談でもしない限り、役所は動きません。

 

で、でもですね、災害があった場合、あの家持たない可能性が大きいですよね?

 

ま、この質問に対ししての答えは何とも言えないのが当然かもしれないが。

持つか持たないか、そりゃ専門家でもない限り確定した答えは出ないだろう。

 

でも・・・

 

自分の担当の時に壊れなければそれでセーフなのかな?

ケースワーカーは担当がコロコロ変わる。

この時も自宅でサービス担当者会議をするから顔合わせも兼ねてご参加願いたいと電話を入れ、連携が取れたらと思ったが、「会議があるので。」と断られた。

たった1年か2年で自分の担当が変わるんだったら、深入りせず当たり触らず任期が終えればそれにこしたことはないのだろうか。

何も寝た子を起こすことはない?

自ら訴えられる人たちは良い。

しかしこのケースは、本人のみならず家族も知的障害がある一家だった。

そこに何十年も住んでいる当人たちは、危険性など全く感じていないようだった。

 

「家が危ないので近くにある市営住宅に引っ越すよう役所に相談に行ってはどうか」と、誰が言えるのだろう。

もしかしたら、そこに住みたくて住んでいるのかもしれない。

元々地域で孤立しているその一家は、他者を信用するには時間が必要だった。

 

我々関係者は度々どうしたものかと相談しあったが、本人とその家族の真意を確かめる間もなく、本人が亡くなってしまった。

 

そして、彼らはまだあの家に住む。

 

生活の質や生活環境そのものは、人それぞれであり、どこまでが支援なのか、

どこまでが過剰なのか、どこまでが贅沢と言われるものなのか。

一般的な生活水準とは。

保護世帯の生活環境とは。

どれも平準化できないものなのだろうと思う。

それぞれの生きてきた価値観がある。

自ら選んで今がある。

でも選べない人生もあるかもしれない。

親が貧困だと子どもは良い教育を受けられず貧困の連鎖が繰り返されることも多いだろう。

 

私たちは社会的弱者と言われる立場の利用者やその家族に関わり、それぞれの生活や価値観、その思いに触れる。

短期間では難しいのは勿論のこと、数年経って初めて知り得ることも少なくない。

利用者及びその家族のこれまでの人生と、ちょっと後ろから一緒に歩いていくこれからの人生の、そう長くはない道のり。

どちらも大事にしていきたい。