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愛を。

看護師ケアマネ。愛すべき利用者との関わりをちょっぴりフィクションほぼノンフィクションで。(記事の編集を随時行っています)

社会的地位の高い人

比較的社会的地位の高い老夫婦のお宅。

お嫁さん、お手伝いさんを囲みながらの遅めの朝食中だった。

ケアマネの訪問も数年のお付き合いにもなれば、応接室や座敷などではなく、こういった食事中と言う場面にもお邪魔させて頂けるようになる。

お客さんじゃありませんから、と言ってもなかなか他人を家にあげ、できれば台所なんて見せたくないのが心情。

嚥下機能が悪い夫の食事中なんてラッキー!

ST(言語聴覚士)を入れたおかげか、バッチリですね!

いやぁ私よりたくさん食べていらっしゃる!

汁が見えないような具沢山の味噌汁。

炊き込み御飯、煮魚、煮物、南瓜の煮付け、卵焼き…

もしかしたら私の1日の野菜摂取量がこの朝だけで…笑

 

朝の10時を回って、このゆったりとした時間…

年を取ったらこんな時間が訪れるんだな?

この方達の会話も何だかアクが無いと言うか、スレてないと言うか…一言で言えば平和。

少し認知症の妻は、「良い時代に生まれたと思っています。ここに来てくれる人はみんな良い人で。」を繰り返し、それを何度も何百回も聞いてきたであろう家族もふんふんと言った表情。

何だかな。人柄かな。

社会的地位が一定程度あり、経済的にも困らない人生と言うのは、ある意味人を疑わない人間になりますか?

旦那が以前、私の仕事上酷い人間にも会うだろう、仮に貧乏で虐められて過酷な人生を送ってきた人間が人を疑わず人に優しくできるんだろうか、と聞いてきた。

私は答えに詰まった。

これまでの困難ケースを思い出すと、確かにその背景には貧困や虐待など本人の意思ではどうにもならないベースがあった。

勿論全てに当てはまるわけではなく、社会不適合やコミュニケーション能力の低さが発達障害からきている場合もあるだろう。診断を受けずに大人になったり、診断が付かないボーダーもいるだろう。

 

同じように年を取っても、人を疑わずなおかつ人にも騙されず、人に感謝しながら幸せに暮らす人もいる。

そして、幸せになるために嘘をつき人を攻撃しいつも自分が損をしないように上手に生きているつもり、の人がいる。

 

私はどんな老人になりたいのか。

まだまだできることはある。 こころの平和を求めて。