愛を。

看護師ケアマネ。愛すべき利用者との関わりをちょっぴりフィクションほぼノンフィクションで。(記事の編集を随時行っています)

悔やむ人

毎回この言葉が聞かれます。

「長生きし過ぎたよ。こんなに長く生きると思っていなかったから」。

「こんな辺ぴな所に越して来るんじゃなかった」。

越してきてもう20年以上経つ・・・。

 

人は、どこまで傲慢で、後悔をする生き物だろう・・・

 

海外で仕事をしてきたご主人は、妻も一緒に連れて行くこともあった。

華やかな人生だったのだろう。

「早くリタイヤし過ぎた。もっと仕事を続けていれば良かった」と言う。

妻は何年も前から自分のことしか考えられなくなった。

妻の口から出る言葉は自分の体調のことばかり・・・それを毎日聞く夫は精神的に参ってしまい、昼間からお酒を飲むようになったのだと。

「2人切りになるのがたまらない。嫌だ。どうにかなっちゃう」って言う。

かつては愛し合った2人も、身体の衰えとともに、自分のことで精一杯になってしまう。

老後はお独り様が良い、という説に妙に納得・・・

でもそれってお互い相手のせいにしてないかなー

 

ケアマネも長いお付き合いになると、つい、余計な事を言ってしまうことがある。

支援に必要のない、ケアマネの事情なんて話さなくて良い。

向こうから聞かれてもそれは最小限に留める。

社交辞令的に聞かれる場合が殆どだろうと思うから。

 

この夫婦に、「過去には戻れませんから」なんて言ってしまってから、失敗したと思った。

そんなこと、そんなことわかりきっているのに。

ここに移り住んだのも、仕事を辞めたのも、もうどうすることもできないのに。

彼らはただ、言いたかっただけ。

聞いて欲しいだけ。

いつもいつも同じ話を誰かに聞いて欲しいのだ。

そんな話を聞いてくれる人はそんなにたくさんは居ない。

親も兄妹も親戚も同僚も友人も、自分達が長生きした分、皆居なくなった。

 

でも彼らは優しいのだ。

この年下の未熟なケアマネの小さな失敗を、聞き流してくれるのだ。

そして多分また後悔を口にする。

生ききるということは、死ぬまで試練であると思う。