愛を。

看護師ケアマネ。愛すべき利用者との関わりをちょっぴりフィクションほぼノンフィクションで。(記事の編集を随時行っています)

呼び戻す人

夫婦というのは共依存そのものか。

無自覚に長い年月をかけてそれは形成される関係。

 

その夫婦と知り合って5年以上経つ。

最近利用者である夫は誤嚥性の肺炎を繰り返し、入退院を繰り返していた。

病院のMSW(医療ソーシャルワーカー)は、ほとほと困っていた.。

本人ではなく、その妻に。

MSWいわく、「このまま自宅に帰すことはご本人にとって良くない。こんな短期間に入院を繰り返している。自宅に帰っても奥様がちゃんとできるとは思えない。なのに帰して欲しいと言われる。何度お話ししても堂々巡りで・・・」。

挙句には「もうどっちでも良いんですけどねぇ・・・」と言い出す始末。

でしょうねぇ。手強いですからねぇ。

何度も何度も相談を受け、手続きの段取りをし、その度にキャンセルを繰り返すというツワモノですから。

妻の意向に沿うサービスがないのです。

そう、彼女は相談難民(そんな言葉があるかどうかわからないが私が勝手につけた)。

あちこちの公的機関へ電話し、その他病院や施設など。

相談を受けた人からケアマネに「どんな感じなんですか」とお尋ねの電話がかかってくる。

その時は「しっかり話しを聞いてあげてください」と返す。それ以外は無いのです。

私も当初は毎月かかってくる電話に正直参っていた。

「私はこの世で一番不幸。 私以上に不幸な人はいない。 これまで生きてきて良いことは一つも無かった」と断言する。

まるで悲劇のヒロインのように饒舌に、相手があることを忘れるくらい自分の話に酔いしれ、何時間も話し続ける。

それまで一生懸命に聞いて一生懸命何か良い方法をと考えていたが、何一つ彼女の意に沿うサービスは無く、ある時思い切って聞いてみた。

少しおずおずとして。。。「それでは、話しを聞くだけで良いんですか」と。

妻は「そうなの。それで良いの。聞いてくれるだけで良いの」と即答した。

相談する人はもう腹の中は決めて聞いている、ということが多いとわかっていても職業上何とかしなければ、と思うのが当然と言えば当然だが。

そうなの。そもそも相談ではないのだ。妻は本当は友達や知り合い、身内に話すようなことをケアマネに話しているということ。話しの中で、「私が電話すると皆嫌がるんです」と言ってたな。

こんなふうにケアマネは身の上話しを聞くことが業務の中でも大きなウエイトを占めています。

 

退院前家屋調査の日、夫は、「家には帰らない。施設に入る」と言った。

それを聞いた妻は「あーそーなの。そういうこと。もう知らない。私を見捨てるのね」と言った。

MSWも言っていたが夫は妻の体のことも心配しており、家は無理だろうと思っていた。妻も高齢で持病があるため誤嚥にならないような食事を作ることなど難しいだろう。

 

とりあえず、1ヶ月と決めての施設入所となった。

MSWはホッとしただろう。

しかしこれで終わらないのが在宅の面白い(大変)ところ?

本人は「ここは良い」と快適な施設ライフを送っていたが、妻は1ヶ月も経たないうちに「帰す」と言い出した。

 

娘と本人へ意思確認の面談を行った。

施設側としては、今大変良い状態なのでもう少し居て頂いても構わないとのことだった。

本人は「ここが良いが、家内があんなに言うので帰るほかないだろう」。

長女も「母がさみしがっているので」。

 

(MSWではないが)どちらでも良いんですよ。

私はお父さんの担当でお父さんの身体のことを考えたら今の環境が安全・安心に長く健康な生活が維持できると思う、しかしこれはお父さん1人の問題では済まず、夫婦の問題であり、その夫婦が決めた結論を尊重したいと思います。

妻は、「わかってる。私も眠れないくらい悩んで決めたこと」と言った。

 

帰ったら帰ったで自分も疲れ夫に八つ当たりするのは目に見えている。それは誰もがわかっていること。

夫への恨みつらみで生きてきた妻の人生だったはずなのに、その元凶を呼び戻す。

でもそれがこの夫婦なのです。
これまで通りヘルパーも入れないし、配食サービスも取らない。
また入院になっても仕方ない。死期が早まったとしてもそれが寿命と思うと言った妻。

妻にとっての別れは、究極の『死』でしかないのだろう。

 

人は生まれてくる時も1人、どんなに愛し合っていても死ぬときは同時には死ねない。最期は1人である。

連れ合いを持たない人は、別れの寂しさ・辛さを知らずに済むと言った。

長年夫婦を営んでくると、別離の岐路に立たされたとき、迷い苦しむのだろう。

 

誰もその決断を評価する資格は無い。

ただ、人間は愚かで愛おしい生き物だと思う。

 

 

 

セーターを編む人

その人は寝ていた。

昼間何もすることが無かったら寝るしかないよね。

編みかけのセーターは私が担当になって4年以上経つが、殆ど進んでないような…

行く度に「少し太りなさったんじゃない?」と言われ、毎月見た目わかるぐらいの1㎏太ってたら3年で36㎏オーバーになりますか?笑

しかし最初にお会いした時は今より痩せていたので、この人からすれば経年変化じゃなく、まだ数ヶ月しか経っていないのかも?

その証拠にこの施設に入ってもう20年近く経つのに、そんなはずはない、まだ2〜3年しか経っていないと言い張る。

「息子は何で離婚したの?嫁が悪かったんじゃないかと思うのよ。私の面倒見たくなかったんでしょ。あの嫁は失敗だった」。

「息子は何の仕事してるの?」。

離婚の原因は知らないけど、お仕事はこれこれと聞いていますよ、大丈夫ですよ、あの息子さんならと毎回お話ししている。

息子さんの都合の良い日に合わせて同行訪問させて頂きたいのだが、最近メールの返事が滞っている。

何かあったかな?

お母さんが心配してるような、女に騙されなきゃいいけど?て?

いえ勿論こんなことケアマネ業務の範疇じゃありませんが。

息子さんと一緒の時、こんな話を持ち出されると息子さんが居心地悪いだろうと、私も話しを逸らそうと頑張ります。

 

90を過ぎた人に説教なんてできないし、するつもりもないが、いくつになっても人間って揺れ動くんだなと思う。

迷って悩んでる年長者に、一生懸命考えてることを話すこともある。そんな時はケアマネとしてじゃなく1人の人間として。同じ人間として。老いて死にゆく同士として。

 

痛い足を引きずりながら歩行器を押して、毎日1日3回食堂まで歩く。

分厚い本と編み物はベットの上に。いつでも手を出せるように。

お菓子は切らさないでね。

施設に預けていたら安心だけど、空っぽの引き出しはお母さんを思い出さない息子の心のよう。

そんなことはないか。

お母さんを大事に思っていても、会ったら会ったで何を話して良いかわからないものかもしれない。

現に私も息子と2人になると、何を話して良いかわからないし。

ちゃんとご飯食べてるね?

仕事はどうね?

…もう詰まった…笑

 

でも会話って必ずしも必要じゃないかも。

黙ってても、たくさんお喋りしなくったって、会いにに来てくれたらきっと、きっと嬉しいはず。

少しの時間で良いからね。

 

ケアマネがすることと言ったら、お母さんに会った様子とまた来月お会いできたら良いですねとメールすることです。

社会的地位の高い人

比較的社会的地位の高い老夫婦のお宅。

お嫁さん、お手伝いさんを囲みながらの遅めの朝食中だった。

ケアマネの訪問も数年のお付き合いにもなれば、応接室や座敷などではなく、こういった食事中と言う場面にもお邪魔させて頂けるようになる。

お客さんじゃありませんから、と言ってもなかなか他人を家にあげ、できれば台所なんて見せたくないのが心情。

嚥下機能が悪い夫の食事中なんてラッキー!

ST(言語聴覚士)を入れたおかげか、バッチリですね!

いやぁ私よりたくさん食べていらっしゃる!

汁が見えないような具沢山の味噌汁。

炊き込み御飯、煮魚、煮物、南瓜の煮付け、卵焼き…

もしかしたら私の1日の野菜摂取量がこの朝だけで…笑

 

朝の10時を回って、このゆったりとした時間…

年を取ったらこんな時間が訪れるんだな?

この方達の会話も何だかアクが無いと言うか、スレてないと言うか…一言で言えば平和。

少し認知症の妻は、「良い時代に生まれたと思っています。ここに来てくれる人はみんな良い人で。」を繰り返し、それを何度も何百回も聞いてきたであろう家族もふんふんと言った表情。

何だかな。人柄かな。

社会的地位が一定程度あり、経済的にも困らない人生と言うのは、ある意味人を疑わない人間になりますか?

旦那が以前、私の仕事上酷い人間にも会うだろう、仮に貧乏で虐められて過酷な人生を送ってきた人間が人を疑わず人に優しくできるんだろうか、と聞いてきた。

私は答えに詰まった。

これまでの困難ケースを思い出すと、確かにその背景には貧困や虐待など本人の意思ではどうにもならないベースがあった。

勿論全てに当てはまるわけではなく、社会不適合やコミュニケーション能力の低さが発達障害からきている場合もあるだろう。診断を受けずに大人になったり、診断が付かないボーダーもいるだろう。

 

同じように年を取っても、人を疑わずなおかつ人にも騙されず、人に感謝しながら幸せに暮らす人もいる。

そして、幸せになるために嘘をつき人を攻撃しいつも自分が損をしないように上手に生きているつもり、の人がいる。

 

私はどんな老人になりたいのか。

まだまだできることはある。 こころの平和を求めて。